レンズ越しの君に。あと、君と君と、君も可愛いね。

 最近、カメラが欲しくて。
 こうして、ブログや小説を書いてると、自分の中にあった情景とかを、できるだけ読んでる人に伝えたいじゃないですか。でも、自分の中にあるビジュアルを、一度文字に変換して、それから読み手の方で、もう一度ビジュアルに変換してもらう。そういう、言ってみれば、七面倒な工程を経なければ伝わらない。伝えようとするものを、より強烈に伝えるためには、情報の正確さ、というか新鮮さが必要なわけで。それには、やっぱカメラで写真を撮っとくのが最善策かなあ、とか思ったのが理由です。
 できるだけ、生活の中にカメラを潜り込ませて、自分がインスピレーションを受けた瞬間を、レンズに収めておく。そういうことが必要なのかな、と。最近、メモを取るようにしてるのも、それが理由。自分のインスピレーションを、その瞬間に文字にしたためておく。それは、別に正確に文章で表現してなくても、いいと思うんですよね。字を書く。その行為で、より強く記憶に残るんじゃないかと。写真を撮る。メモを取る。ふとした瞬間に、光の速度を越えるかもしれない頭の回転した足跡を残しておくためには、有効な手段なんじゃないかな。頭は回転したいだけ回転して、そのままだから。きっと、取りこぼしもあるはずなんですよ。記憶すべきものを、その辺に置き忘れてきてたりする。それをできるだけ少なくするための、方法。
 友達にその話をしたときに、「携帯のカメラじゃ駄目なの?」って言われて、うーん、となってしまいました。駄目じゃないんだけど……ってところ。どうしてだろって、考えてみました。
 で、思ったのが、なんだか「不誠実」な感じがするからかな。携帯のカメラって。もちろん便利だし、使いたいときにどんどん使っていっていいと思うんだけど。携帯のカメラで、写真を撮るときって、その対象を真正面から見ないじゃないですか。携帯のカメラで写真を撮る人が、何を見てるのかと言ったら、携帯の画面を見てる。それが、ちょっと不誠実な光景に思えてしまって。
 まあ、僕が欲しいのはデジタルカメラ。一眼レフとかを使いこなせるようになったら、それはそれですごいですけど、日常の一瞬のメモのように使うには、ちと敷居が高いぞ、と。なんでデジタルカメラ。僕、よく分からないんだけど、デジタルカメラは普通のカメラと同じ要領だから、レンズ越しに撮る相手を見ますよね? そのときはやっぱり、相手を真正面から見てる。たとえ、レンズ越しでも。それが、何と言うか、最低限の誠実さかなあ、と思ったりして。
 もちろん、携帯カメラがよく、人に不快な思いをさせるものとして、話に聞くのも理由なのかもしれませんが。
 でも、僕としては、撮るもの、もしくは人を、レンズ越しでも真正面に捉えてたい。相手が人なら、カメラを向けられると、恥ずかしい表情で、はにかみながら、はにかみながらの、「ハイ、チーズ」じゃないですか。その撮る瞬間までの、短いはにかみとかも、真正面から受け取っていたいな、とか思うのは僕だけかな?
 僕のリスペクトしてる糸井重里さんが、ちょうど「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で、カメラの話をしていて。僕はカメラのことをよく知らないから、どんなものを買おうか、全然決めてなかったんですが、どうやら糸井さんも一年前までは、僕と似たようなポジションにいたみたい。
 これを機会に、糸井さんと同じカメラを買ってみようかなあ。